わが国で最初にボートが漕がれたのは、 江戸時代末期(幕末)までさかのぼります。当時の日本にとってスポーツは未知のもので、ローイング競技の普及には幾多の苦難の道をたどりましたが、今日、 ようやく世界の水準に近づいたように思います。
日本にボートがお目見えしてから今日までの足取りを略史として振り返り、 みなさんの参考に供したいと思います(さらに詳しくは「日本ボート協会百周年史」、「日本ボート協会百周年史 : 漕跡」、 「日本ボート協会百周年史 : JARA DATAFILE」、「日本ボート競技データファイル JARA80周年記念企画」、「日本漕艇協会 漕艇75年」、会報誌「Rowing」などの書籍を参照してください)。
※歴代のオリンピック日本代表選手団の全記録・全選手名は以下のサイトを参照。
http://www.joc.or.jp/games/olympic/record/
年号(西暦) | ローイング関係特記事項 |
---|---|
安政2年 (1855) |
長崎海軍伝習所が教科の一つとしてカッター艇の乗艇訓練を行う。出版物に掲載された海外のボートによる日本初の乗艇記録 |
文久1年 (1861) |
長崎湾でT.B.グラバー氏など英国商人たちが「長崎レガッタ」を開催。長崎の英字新聞に掲載された競技用ボートによる日本初のレース |
3年 (1863) |
横浜港で英国水兵たちが「グランド・ヨコハマ・インターナショナル・レガッタ」を開催 |
明治1年 (1868) |
横浜で英国商人たちが「横浜ローイングクラブ」と「日本ローイングクラブ」をそれぞれ発足 |
3年 (1870) |
神戸でA.C.シム氏など英国商人たちが「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ(現神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部)」を発足。 横浜ローイングクラブとインポートマッチを開催(日本初の定期レガッタ) |
4年 (1871) |
横浜で英国商人たちが「横浜ローイングクラブ」と「日本ローイングクラブ」を合併し、 「横浜アマチュア・ローイングクラブ(横浜ヨット協会の前身の母体)」を発足 |
8年 (1875) |
英国人指導者、F.W.ストレンジ氏が来日 |
10年 (1877) |
F.W.ストレンジ氏が大学予備門(東京大の前身の一つ)の教員となり、 隅田川で学生に漕艇を教え始める 大学南校(東京大の前身の一つ)と東京外国語学校(東京大、東京外国語大、一橋大の前身)がボートを購入 |
13年 (1880) |
大阪・堂島川で第三高等中学校(京都大の前身の一つ)の学生たちが漕艇を始める 琵琶湖で同志社英学校(同志社大の前身)の学生たちが漕艇を始める |
14年 (1881) |
隅田川で郵便汽船三菱会社(日本郵船の前身の一つ)の社員が漕艇を始める |
15年 (1882) |
体操伝習所(筑波大の前身の一つ)が東京石川島造船所(IHIの前身)でボートを建造し、G.A.リーランド博士の指導に基づき教科の一つに漕艇を加える |
16年 (1883) |
東京大に日本初の運動部「大学走舸組競漕会(だいがくそうかぐみきょうそうかい、ボート部の前身)」が発足 隅田川で東京大と体操伝習所が対校戦を開催。日本初の対校レガッタ 宍道湖で旧制松江師範学校(島根大の前身)が海軍から払い下げのカッター艇を購入し同校学生や隣接の旧制松江中学校(松江北高の前身)の生徒が漕艇を始める |
18年 (1885) |
横浜アマチュア・ローイングクラブが横浜でのクラブ内レースに東京大を招待(日本初の国際レガッタ) |
20年 (1887) |
東京大が隅田川での学内レガッタに第一高等学校(東京大の前身の一つ)、 高等商業学校(一橋大の前身)、高等師範学校(筑波大の前身)をそれぞれ招待。 「東商レガッタ」の源流 |
21年 (1888) |
長崎・西小島で第五高等中学校医学部(長崎大医学部の前身)が端艇部を発足 |
22年 (1889) |
大阪・堂島川で府立大阪商業学校(大阪市立大の前身)が学内レガッタを開催 |
24年 (1891) |
広島・元安川で広島県尋常師範学校(広島大の前身の一つ)が漕艇を始める 滋賀・瀬田川で同志社英学校(同志社大の前身)が学内レガッタを開催 |
26年 (1893) |
第三高等学校(京都大の前身の一つ)が琵琶湖を漕いで一周する「琵琶湖周航」を開始 隅田川で日本郵船、三菱合資会社、三井物産、日本鉄道(JR東日本の源流の一つ)が対抗戦を開催。 日本初の企業対抗レガッタ |
28年 (1895) |
行政が大日本連合競漕会を発足し、琵琶湖で「琵琶湖連合大競漕会」を開催 第二高等学校(東北大の前身の一つ)、第四高等学校(金沢大の前身の一つ)、 第五高等学校(熊本大の前身の一つ)にそれぞれ端艇部が発足 |
29年 (1896) |
日本郵船函館支店が「函館端艇会」を発足し、函館港でレガッタを開催 北海道炭礦鉄道(現北海道炭礦汽船)が「北海道端艇会」を発足し、小樽港でレガッタを開催 |
30年 (1897) |
梅津寺海岸で松山中学校(松山東高の前身)が漕艇を始める |
31年 (1898) |
高等商業学校(一橋大の前身)が向島から利根川河口までを漕ぐ「銚子遠漕」を開始 |
33年 (1900) |
レガッタの様子をうたった瀧廉太郎の楽曲「花(春のうららの 隅田川)」が発表される |
34年 (1901) |
琵琶湖で大日本武徳会が「全国中等学校端艇競漕大会」を開催(高校総体の源流) |
38年 (1905) |
隅田川で早稲田大と慶応義塾大が対校戦を開催。「早慶レガッタ」の始まり |
41年 (1908) |
第一高等学校の御手洗文雄が「大利根遠漕歌(ボート四季の歌・春は春は)」を作る |
44年 (1911) |
東京大が日本で初めての滑席シェル艇(6人漕ぎ)を英国造船所で2艇建造 |
大正6年 (1917) |
第三高等学校の小口太郎が「琵琶湖周航の歌」を作る |
8年 (1919) |
隅田川で東京大が分科レース(学科対抗戦)を開催。日本人による初めての滑席シェル艇によるレガッタ 隅田川で東京大と早稲田大が滑席シェル艇による対校戦を開催 |
9年 (1920) |
6月に日本漕艇協会創立。岸清一氏が初代会長に就任 旧制開成中(開成高の前身)と東京高等師範学校附属中(筑波大附属高の前身)が対校戦を開催。 今日まで最も途切れず続く定期レガッタの始まり 瀬田川で東京大と京都大が対校戦を開催。日本初のエイト艇によるレガッタ。「東大京大戦」の始まり 隅田川で日本漕艇協会が関東大学高専選手権(インターカレッジ)を開催。全日本選手権の源流 |
12年 (1923) |
9月 関東大震災のため被害甚大、競漕会中止 |
13年 (1924) |
第1回明治神宮競技大会漕艇競技(東京・隅田川)(明治神宮国民体育大会、明治神宮国民練成大会。現在の国体の前身。昭和18年(1943)まで) |
14年 (1925) |
3月 大日本体育協会(現日本体育協会)に加盟 10月 第1回全国中学選手権(固定席艇)(昭和17年(1942)まで) |
昭和3年 (1928) |
日本漕艇協会に関東、関西両支部を設置 7月 第9回アムステルダムオリンピックに初参加(舵手つきフォア、シングルスカル) 9月 第1回関西大学高専選手権(淀川新コース・2000メートル) 9月 第1回全日本大学高専選手権(秩父宮杯下賜) |
5年 (1930) |
5月 西光嘉左エ門が兵庫県神戸市須磨海岸に33艇(大量の1x、2x、4+、フィックス艇、小型船舶、ヨット含む)、艇庫、造船施設を所有する水上スポーツクラブ「須磨楽水会」を設立。日本人による初の大規模クラブ 9月 NHKがラジオで初のボートレース中継放送 |
7年 (1932) |
第10回ロサンゼルスオリンピック(エイト、舵手つきフォア) |
11年 (1936) |
6月 英国マロー・レガッタで東京大エイトが優勝 第11回ベルリンオリンピック(エイト、舵手つきフォア、舵手つきペア) 7月 IOC総会で第12回オリンピック大会(1940)の東京開催決定 ※13年(1938)7月 東京オリンピック開催返上決定 |
12年 (1937) |
5月 戸田オリンピック・コース起工式挙行 |
15年 (1940) |
10月 戸田オリンピック・コース竣工、入水式挙行 |
19年 (1944) |
戦局悪化にともない、競漕会はすべて中止される |
20年 (1945) |
11月 戦後初のレースを向島で開催(エイト参加は2校のみ) |
21年 (1946) |
10月 関東インターカレッジ復活開催 11月 第1回国民体育大会漕艇競技(国体)(瀬田川) |
24年 (1949) |
国体にナックルフォアを正式種目として採用 |
26年 (1951) |
9月 第1回社会人実業団選手権(瀬田川) |
27年 (1952) |
第15回ヘルシンキオリンピック(舵手つきフォア) |
28年 (1953) |
8月 第1回全日本高等学校選手権(高校総体、瀬田川) |
29年 (1954) |
全日本選手権に英国ケンブリッジ大(エイト)を招待 ※34年(1959)英国オックスフォード大(エイト)を招待 |
31年 (1956) |
第16回メルボルンオリンピック(エイト) |
35年 (1960) |
第17回ローマオリンピック(エイト、舵手つきフォア) 11月 第1回全日本ジュニア選手権開催 ※45年(1970)から全日本新人選手権に変更 |
36年 (1961) |
7月 第1回オックスフォード盾レガッタ(戸田) 西独キール大、米国ワシントンRCクルーを招待 日独、日米対抗レガッタを開催 |
37年 (1962) |
9月 第1回世界漕艇選手権(スイス・ルツェルン) |
39年 (1964) |
9月 社団法人日本漕艇協会 設立認可 10月 第18回東京オリンピック大会開催(戸田)(エイト、舵手つきフォア、舵手なしフォア、舵手つきペア、舵手なしペア、ダブルスカル、シングルスカル) |
40年 (1965) |
6月 「月刊漕艇」第1号発行 |
43年 (1968) |
第19回メキシコオリンピック(エイト、シングルスカル) 国体にシングルスカル種目を採用 |
44年 (1969) |
秩父宮妃優勝杯(男子)、優勝旗(女子)下賜 国体のフィックス種目を廃止 |
45年 (1970) |
8月 第1回全日本女子選手権(岐阜・川辺) 日本漕艇協会創立50周年 全日本ジュニア選手権開催を全日本新人選手権に名称変更 高校総体に男子シングルスカル種目を採用 |
46年 (1971) |
7月 世界ジュニア選手権(ユーゴ・ブレド)に初参加 |
47年 (1972) |
第20回ミュンヘンオリンピック(ダブルスカル、シングルスカル) |
49年 (1974) |
高校総体からフィックス種目を廃止し、男子舵手つきフォア種目を採用 8月 第1回全日本大学選手権(荒天のため決勝レース中止) 国体に男子舵手つきフォア種目を採用 |
51年 (1976) |
第21回モントリオールオリンピック(M8+) オリンピックに女子種目が加わる |
53年 (1978) |
早慶レガッタが隅田川で復活開催 高校総体のフィックス種目を廃止 |
54年 (1979) |
6月 第1回全日本軽量級選手権(戸田) |
55年 (1980) |
モスクワ・オリンピック不参加を決定 6月 第1回国際大学漕艇選手権(イタリア・ミラノ)で東京大M8+が優勝 |
56年 (1981) |
7月 第1回全国中学選手権(浜松・佐鳴湖) 高校総体に女子シングルスカル種目を採用 |
57年 (1982) |
11月 アジア漕艇連盟(ARF)設立(インド・ジャイプール) |
59年 (1984) |
第23回ロサンゼルスオリンピック(M4+、M1x) |
60年 (1985) |
11月 第1回アジア漕艇選手権(香港) |
61年 (1986) |
9月 第10回アジア競技大会(ソウル)で金1、銀3、銅3を獲得 |
63年 (1988) |
第24回ソウルオリンピック(M8+、M2-、M1x) 高校総体に女子舵手つきフォア種目を採用 |
平成元年 (1989) |
第1回マシンローイング大会 |
2年 (1990) |
第1回全国高等学校選抜競漕大会(静岡・天竜) |
3年 (1991) |
高校総体・国体のナックルフォア種目を廃止 10月 第4回アジア漕艇選手権(戸田) |
4年 (1992) |
第25回バルセロナオリンピック(M8+、M2-、W2-) 8月 全日本大学選手権M8+に三笠宮優勝杯下賜 |
5年 (1993) |
5月 第1回東アジア競技大会漕艇競技(中国・上海) |
6年 (1994) |
10月 第12回アジア競技大会漕艇競技(広島・芦田川) |
7年 (1995) |
6月 日本漕艇協会創立75周年を迎える(11月記念式典開催) 6月 NHKが全日本選手権決勝レースをテレビ放映開始 |
8年 (1996) |
第26回アトランタオリンピック(LM4-、M2-、M2x、M1x) |
9年 (1997) |
11月 第7回アジア漕艇選手権(台湾・宣蘭県)でM8+が優勝 |
10年 (1998) |
4月 日本漕艇協会が「日本ボート協会」に名称変更 |
11年 (1999) |
10月 第8回アジア・ボート選手権(宮城・長沼) |
12年 (2000) |
世界選手権大会(クロアチア・ザグレブ)でLM4xが優勝。オリンピック・世界選手権を通じ日本勢として初の優勝。 第27回シドニーオリンピックでLM2xが6位入賞(日本のオリンピックの男子最高位)。(LM4-14位、LW2x14位) |
13年 (2001) |
高校総体の舵手つきフォア種目を廃止し、舵手つきクオドルプルを採用 世界選手権大会(スイス・ルツェルン)。(LM4x3位) |
15年 (2003) |
第1回全日本ジュニア選手権(熊本・斑蛇口湖) 国体の少年男女・成年女子の舵手つきフォア種目を廃止し、舵手つきクオドルプル種目を採用 |
16年 (2004) |
第28回アテネオリンピックでLM2xが6位入賞(日本のオリンピックの男子最高位)。(LW2x13位) |
17年 (2005) |
8月 アジア初の世界選手権大会(岐阜・長良川)。56の国と地域、319クルー参加。(LM8+2位) |
18年 (2006) |
2月 第1回ボート人口増大フォーラム(東京・赤阪。平成20年(2008)まで3回開催) 第15回アジア競技大会ボート競技(カタール・ドーハ)で、金2(M4-、LM2x)、銀3(LM1x、W1x、LW2x)を獲得 |
20年 (2008) |
第1回全日本マスターズレガッタ(愛知・愛知池) 全国中学選手権の主催が日本ボート協会に変更。これに伴って全日本中学選手権と名称変更(岐阜・長沼) 第29回北京オリンピックでLW2xが9位(日本のオリンピックの女子最高位)。(LM2x13位) 国体の少年女子・成年女子にダブルスカル種目を採用 |
21年 (2009) |
日本代表チームの通称を「Crew JAPAN」と命名 6月 戸田艇庫と戸田ボートコースが文部科学省から「ナショナルトレーニングセンター(NTC)ボート強化拠点施設」の指定を受ける 全日本社会人選手権大会のレース距離を従来の1000mから2000mに変更 世界U23ボート選手権(チェコ・ラシセ )でLM4-が銀を獲得。(LM2x12位、LW4x6位) |
22年 (2010) |
第1回お台場レガッタ兼F.W.ストレンジ杯(東京・港区) 世界U23ボート選手権(ベラルーシ・ブレスト)でLW1xが銀を獲得。(LM4x7位、LM1x14位、LW4x6位) |
23年 (2011) |
6月 アジア初のFISAワールドローイングツアー(琵琶湖)。 レガッタ中継システム導入。レース動画の大型モニターへのライブ放映スタート。 第16回アジア競技大会ボート競技(中国・広州)で、金2(M4-、LW1x)、銀2(LM1x、LW2x)、銅1(LM2x)を獲得 |
24年 (2012) |
日本ボート協会が公益社団法人化 第30回ロンドンオリンピック(LM2x12位、LW2x12位、W1x23位) |
25年 (2013) |
第27回ユニバーシアード競技大会ボート競技(ロシア・カザン)でLM4-が銅を獲得 世界U23ボート選手権(オーストリア・リンツ)でLW1xが銅を獲得。(LM4x7位、LM1x14位、LW4x6位) 9月 IOC総会で第32回オリンピック大会(2020)の東京開催決定 |
26年 (2014) |
継続強化制度、タレント発掘事業、及びメダルポテンシャルアスリート制度スタート 5月 2014アジアカップⅠ(戸田) 第16回アジア競技大会ボート競技(韓国・忠州)で、金1(LM2x)、銀2(M8+、LW2x)を獲得 |
27年 (2015) |
第28回ユニバーシアード競技大会ボート競技(韓国・忠州)でLW2xとLM4-が金、LM2xが銅を獲得 11月 第32回東京オリンピックの会場が「海の森水上競技場」に決定 |
28年 (2016) |
第31回リオデジャネイロオリンピック(LM2x15位、LW2x12位) |
29年 (2017) |
2月 FISA臨時総会を東京で開催 |
※LW1xなど省略された種目名の詳細は以下を参照
http://www.jara.or.jp/about.html