公益社団法人日本ボート協会

Japan Rowing Association

日本ボート協会JARA

全国のオアズパーソンへの手紙(第42信)

2016年2月1日
日本ボート協会会長
大久保 尚武
会長写真

リオ・オリンピックへの出場権獲得に向けた日本代表候補選手(含補漕)は、遅れていた女子3選手(LW2×)も内定して、既に決まっていた男子9選手(LM4-、LM2×)と合わせて、全12選手が出揃いました。「絶対に出るんだ」という決意で、これからも練習にいっそう励み、3クルーがそろって出場権を獲得することを期待しています。

1月27日(水)の午前、その女子の選考トライアルを観に、戸田に行ってきました。完全無風で暖かい好コンディションの中、じっくり観ることができました。

また大林ヘッドコーチ、桝田コーチから、合宿の様子、トレーニングの状況など、色々聞かせてもらいました。フランス人金メダリスト ドルフマンコーチ効果も徐々に出てきているようで、大林、桝田両コーチ共「彼に来てもらって良かった、ずいぶん教えられ、参考になります」と高評価でした。「金メダルを獲った」という経験はやはり半端じゃないようです。

ドルフマンコーチの提言によるという「筋持久力サーキットトレーニング」に男子選手たちが取り組んでいる様子を、戸田ナショナルトレーニングセンターで観ました。15種類の筋トレを、レート30のメトロノームに合わせて、3セット、約1時間休みなく続けるということで、「これは相当の厳しさだナ」と思ったことです。

選手たちが、どう進歩してくれるか、期待して見守りたいと思います。

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「ワールドチャレンジ表彰」という新しい表彰を創設しました。国際大会(オリンピック、世界選手権、ユニバシアードなど別に定める国際大会)でメダルを獲得したクルー(選手)を、日本ボート協会として顕彰するものです。

栄えある第一回の受賞者は、昨年のユニバシアード大会でメダルを獲得した次の3クルーです。

ユニバシアード 金 LW2× 冨田千愛、大石綾美
同 金 LM4- 荒木祥太、林亜門
志賀巧、佐藤翔
同 銅 LM2× 大塚圭宏、長田敦

(なお、冨田千愛選手は、U23世界選手権のBLW1×でも銀メダルを獲り、日本スポーツ賞(読売新聞社主催)を受けています)

1月16日開催の恒例の日本ボート協会新年会の席上、76名の出席者の前で表彰式を行い、みんなで祝福しました。おめでとうございます。

この新年会は、今年も協会役員のみなさんの他、池谷邦行静岡県ボート協会会長などたくさんの先輩諸氏や関係者の方々が出席して、賑やかに催されました。

わたしからは、新春のあいさつとして

「われわれは‘勝つために戦っている’のだ。ファイティングスピリットをもっと強く持とう。そして、アスリートファーストの精神で、協会スタッフはもちろん、ボート界一丸となって勝つために今年を戦い抜こう」

と、少々強い調子で話しました。

その後、各委員会のスタッフが順番に前に出て、今年の抱負を述べ、最後をしっかり三・三・七拍子で締めました。

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「海の森ボートコース」の建設担当業者も決まり、いよいよ実施設計の段階に入りました。これを機に、1月27日(水)東京都オリンピック・パラリンピック準備局の中島局長、根本部長がおいでになり、木村理事長等も一緒に、今後の進め方などを協議しました。

まずは、オリンピック開催コースとして、国際的にも遜色のない立派なコースをつくるために、当然のことながら、しっかり協力し合うことを確認しました。日本ボート協会は、専門家としてフルに知恵を出し、東京都並びに建設業者に提言していかなければなりません。前向きに、「どうすればより良いコースになるか」 全力でアイデアを絞り出そうではありませんか。

次に、後利用についても、しっかり考えておくことが大事なことは言うまでもありません。当日の会議では、われわれの方から

  1. 将来の利用を考えた「共同艇庫・合宿所」の設計
  2. 水上スポーツ公園として、色々な人が使うために広い水面の「ゾーニング」設計(競技用練習ゾーン、レクリエーションゾーンなど)
  3. 公共交通機関の整備

など、いくつかの課題を提言し、今後協力して検討していくことを確認しました。

また、早い時期に、あの水面で何かボートのイベントをやりたいという提案をしましたところ、「それは都としてもぜひ協力したい」との返事でした。小中学生、高校生なども交えた楽しいイベントを計画したいと思っています。

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堀内浩太郎さんが1月18日に亡くなられました。まさに「日本ボート界の巨星墜つ」です。1月23日に鎌倉のご自宅で葬儀が行われ、たくさんのボート関係者がお見送りしました。

漕手として、またコーチとしての堀内さんの赫々たる業績はあらためて紹介するまでもないでしょう。ここでは、あまり知られていないと思われる挿話を2~3お話します。

まず堀内家はたいへんなボートファミリーです。父上の堀内寿郎氏は、北大コーチとして昭和29年全日本エイトで優勝しました。衝撃的な優勝で、中学2年生だったわたしも鮮明に覚えています。そして浩太郎さんを長男とする9人兄妹のうち、男2人、女2人の4人が東大ボート部で活躍し、さらに長男の哲さんもボートマンで、現在東北大ボート部監督です。

次にボート設計者としての堀内さんです。『あるボートデザイナーの軌跡』という2冊の名著がありますが、とにかくその好奇心の広がり、アイデアの豊富で多彩なことには、ただ驚くばかりです。エンジン付きのボートが中心ですが、「競漕艇の7つの工夫」という記事も載っていますので、ぜひ読んでみて下さい。

そして最後に堀内さんが、昭和32年に東北大学のコーチを引き受け、たった4年でオリンピック代表にまで育てた経緯です。

これは1月23日の葬儀で尾崎進さん(東北大OB)が弔辞で述べられたのですが、その時の様子が目に浮かぶようで感動的な弔辞でした。昭和30~31年頃の東北大はどん底時代で、大先輩から「こんなボート部、休部にしろ!」と叱責されるような状態でした。その時、旧制二高ボート部で堀内さんと一緒に漕いだ某先輩から、「この手紙を持って堀内に頼んでこい」と言われたまだ学生だった尾崎さんは、32年の正月に、鎌倉の堀内さんを訪ね、コーチ就任をお願いしたそうです。じっと考えていた堀内さんは、「わが任にあらず」として承諾してくれませんでした。しかし諦めずに3日間通ったそうです。とうとう3日目に、「コーチはできないが、相談に乗る立場なら...」と返事をもらったのです。

尾崎さんたち学生の想いと気迫、そして堀内さんの心境、この弔辞を聴いて、わたしはほんとうに感動しました。

以上