オアズパーソン有志が総力をあげて取り組んできた「隅田川ボート記念碑」が 全国の大学ボート部OB会、東京のボート団体、二つの高校ボート部OB会、国土交通省下水道部、日本下水道協会、墨田区などの協力を得て このほど完成し、その除幕式が2016(平成28)年9月3日(土)に隅田川の墨堤で盛大に催されました(主催:ボート記念碑建設委員会)。
この記念碑は墨田区の協力(向島1~5丁目の地元町内会の同意もいただき)によって、明治天皇海軍漕艇天覧記念跡地の横に設置されました。 素材は御影石で、大きさは縦180cm×横110cm×厚さ20cm。表面には「漕」の文字、「隅田川とボートのつながり」、ボート記念碑建設委員会・半藤一利会長(作家、東京大OB)の碑文が、 裏面には1954(昭和29)年9月19日に墨田川に英国からケンブリッジ大学を招いて行われた「朝日招待レガッタ」の光景とこの記念碑建設に対する協賛団体名が刻まれています。
天候に恵まれた式典当日、関係者約200人が見守る中で 半藤会長、墨田区・山本亨区長、日本ボート協会・木村新理事長、国土交通省下水道事業課・加藤裕之課長、によって除幕されました。 除幕後、半藤会長からは記念碑の寄贈目録書が、山本区長からは感謝状が互いに手渡されました。
記念碑横のステンレス製歴史年表板。「夏目漱石も漕ぎ、福沢諭吉も漕ぎ、レガッタは『春のうららの隅田川』と瀧廉太郎の『花』にも歌われボートは隅田川の華であった」の書き出しで始まる。裏面には当時の艇庫の位置を示した墨堤(隅田川堤)の地図が記されている。
除幕式に引き続いて墨田区役所横のリバーサイドホールで記念講演会が行われました。
隅田川は日本人によるチームボートの中心地として栄えていました。 明治の初期から漕艇が始まり、東京大学と一橋大学との対校レース「東商レガッタ」や早稲田大学と慶應義塾大学の対校レース「早慶レガッタ」といった 今日に続く大きなレースが次々と誕生し、毎年、桜のシーズンになると堤上には数万人の観客が押し寄せていました。 その様子を当時の新聞は"近代文化の華"と記し、ボートをたたえていました。
しかし昭和30年代に高度経済成長が始まると公害による水質汚濁が深刻化し、各団体はそれぞれの活動拠点である艇庫を1964東京五輪会場の戸田へ移転。 1967(昭和42)年の一橋大学艇庫閉鎖をもって隅田川の艇庫群は姿を消して、 現在は早慶レガッタ以外にボートの姿を見る機会がなくなってしまいました。
このままでは隅田川とボートというつながりも忘れ去られてしまう。
ボート発展に向けて自分たちにできる事を全力で取り組み後世に伝えようではないか!
そうした想いを共有する有志が集まり2015(平成27)4月に「ボート記念碑」の建立を企画。 かつて隅田川で練習を重ねてきた大学や高校を含む関東地区の各ボート部OB会に打診し、 東京都ボート協会、日本オアズ・マン倶楽部、隅田川ローイングクラブを加えて 同年11月に「隅田川ボート記念碑建設委員会」が創設されたのです。 同委員会が総力をあげて募った結果、32の大学ボート部OB会 (北海道大学、小樽商科大学、東北大学、名古屋大学、同志社大学、京都大学、大阪市立大学といった関東以外の各大学ボート部OB会を含む)、 2校の高校ボート部OB会、都内の3ボート団体、国土交通省下水道部、日本下水道協会、計39団体から協賛を得ることができました。 また夏目漱石の名代として、ご令孫にあたる半藤会長ご令室・末利子様からも寄付いただきました。
これからの社会は変化がいっそう進み、さまざまな事が生じていくことでしょう。 ますます先が見えにくくなる時代において、この記念碑がボートを愛する人々の想いを紡ぐ変わらぬ礎「真のモニュメント」として、若者たちへ未来を指し示す一筋の灯となる事を 心から願っています。