2016(平成28)年7月3日(日)に滋賀県大津市の瀬田川で「第67回京都大・東京大対校競漕大会(京大・東大戦)」が開かれました(主管:京都大)。
瀬田の唐橋を背景に進む両校エイトクルー
この大会は「2年生を中心としたジュニア選手戦をメインレース」とする国内唯一の対校戦で、
埼玉県戸田ボートコースと1年ごとに会場持ち回りで開催されています。
今年は晴天でやや風の強い1日となり、OBOG戦を含む10レースを、500人近いOBOGと選手の家族が観戦しました。
レース結果は医学部戦(男子舵手つきフォア、1000m)が京都大の13連覇、
初めて行われた男子舵手つきペア戦(3200m)が東京大の勝利、注目の男子エイト戦は京都大が4年ぶり27回目の優勝を遂げました。
レース結果は以下のWeb参照
https://www.facebook.com/Kyotounirowingclub/posts/1037555873007716
レース動画は以下のWeb参照(提供:aomonoya)
https://youtu.be/5j3UK5xLVlQ?list=PLQQuLGC1AaZIQDwjQ96AI4Yjgw4eLD4XO
この大会は今日にはない距離3200mでレースが行われています。 これは太平洋戦争前に旧制第一高等学校端艇部と旧制第三高等学校水上部による「一高・三高対校競漕戦」が2マイル(約3219m)で行われていた名残です。
「一高・三高対校競漕戦」は1924(大正13)年に始まりました。しかし戦後の学制改革で旧制高等学校は廃止となり、1948(昭和23)年に途絶えてしまいました。そこで一高と三高のOBや関係者らは新制東京大と新制京都大に対して「ジュニアクルーによる定期戦」を提案したのです。 これが1950(昭和25)年8月に瀬田川で実現し、今日に続く「京大・東大戦」の第1回となりました。
この「一高・三高対校競漕戦」の始まる4年前の1920(大正9)年に瀬田川2マイルコースで 「第1回京都帝国大学 対 東京帝国大学競漕大会」が行われました。 出場クルーは最強選手による構成で、使用艇には今日と同じ「滑席エイト艇」が用いられました。 当時はシート固定の「フィックス艇」が全盛でしたので、エイト艇による対校レースは日本初の画期的な出来事でした。
また英オックスフォード大とケンブリッジ大による対校戦「The Boat Race」にならって、 両校のスクールカラーであるダークブルー(濃青)とライトブルー(淡青)を、京都帝大と東京帝大も用いたといわれています。 これが今日に伝わって、京都大と東京大の各スクールカラーとなりました。
「京都帝大・東京帝大戦」はその後、1927(昭和2)年から3年間中断。 1930(昭和5)年に再開されましたが、1931(昭和6)年を最後に途絶えてしまいました。
今日の「京大・東大戦」は時代に応じた改善が図られているのが特長です。
「医学部対校レース」は1965(昭和40)年に始まりましたが、長い間、別日程で行われていました。それを1988(昭和63)年に合流し、今日のように同じ日程で実施するようになりました。また1999(平成11)年に第50回を記念した「OBレース」が新設されると、東京大OB・猿渡央氏(日本ボートマンクラブ代表。故人)が盛り上げようと多方面に働きかけ、大勢の両校OBが駆け付けるようになりました。このことが、今日、マスターズレガッタが盛んになるきっかけの一つになったといわれています。さらに2003(平成15)年には「女子対校レース」が加わりました。
このほか、2014(平成26)年からは「レガッタ中継システム」に「Web動画サービス」を導入し、ネット環境があれば、国内外のどこからでも観戦できるようになりました。新入部員らの保護者を招いてボート競技の魅力と価値を解説する「家族会」が催されるようになったのも、この年からです。
伝統を継承しつつ新しい魅力を生み出し続ける「京大・東大戦」。その姿勢から学ぶべきことは大いにあるようです。
【ローイング編集部】
【写真撮影:京都大ボート部】