2015(平成27)年4月から約1年間、仕事の関係で米プリンストン大に留学していました。相対性理論の発表から100周年にあたり、物理学者のアインシュタインにゆかりのあるこの地では、関連イベントが多く開催されていましたが、私はなぜかボートを再開しました。私のプリンストンでの漕艇体験を日本のみなさんにご紹介します。
【十三音楽隊 櫻井岳暁】
プリンストンは米国東海岸ニュージャージー州中部に位置する、人口3万人の大学街(学術都市)です。 治安は極めて良く、大学だけでなく小中学校の教育水準も高く、かつ電車で一時間も北方に向かうと ニューヨークのマンハッタン島にアクセスできる、大変恵まれた環境にあります。 この町の情報は、村上春樹著『やがて哀しき外国語』を読むと理解できると思います。
プリンストン大には、大学所有の湖があります。この湖はDelaware Riverの細くうねった川の周辺を、20世紀初頭に鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが購入し、湖にしたのがルーツで、「カーネギー湖」と名付けられています。全長3mile(約5km)の湖には2000mの直線コースが設置され、風が吹いても波が立ちにくいなど環境が良く、また、US Rowingの艇庫がプリンストン大ボートハウスに併設されているため、米ナショナルチームの練習にも用いられます。
私はこのカーネギー湖に所在するボートクラブ“Carnegie Lake Rowing Association(CLRA)”に在籍しました。
プリンストンには同志社大ボート部OBの友人が以前から暮らしており、CLRAの存在は渡米前に教えてもらっていました。 その当時、現役生活を20年離れた自分には縁のない話と思っていました。しかし、何かの縁でしょうか。 偶然、ローカルなお祭りでCLRAのブースを見かけたのです。 惹かれるように立ち寄ったところ、「練習は朝5時半から、週6回好きな日を選んで参加できる。朝は子供が寝てるから、ボート漕げるだろ!」子育てで体を動かす余裕がなく、血中コレステロール値が年々高くなっている私は、この口説き文句で心を撃ち抜かれました。
早速、小切手で年会費160ドルを支払い、クラブの会員になりました。
CLRAでは、前日の夜8時までにweb上で手続きをすると、乗る艇(エイトかフォア)をコーチが決めてます。クラブのコーチは、プリンストン大のアシスタントコーチが引き受けており、毎乗艇クルーの漕ぎをチェックしてくれます。一回の乗艇料は6ドルで、ジムに行くよりはるかに安あがりです。早朝5時半からエイトを4クルー組めるぐらい人が集まるのにはびっくりしますが、これが米国での漕艇競技の位置づけなのだと実感します。
なお米国のスポーツジムにはコンセプト社のエルゴが標準的に設置されており、市民権を得ていました。
米国で競技人口の多いボート競技ですが、この裾野を広げるのにボートクラブの役割は欠かせません。 CLRAでもLearn to Rowプログラムを通じ、一般の初心者(老若男女!)に競技指導を行います。
具体的には9月中旬から11月下旬までの火曜日と木曜日の早朝ならびに日曜日の午後にクラブのメンバー(経験者)が参加登録者と一緒に乗艇します。参加登録費は全期間で355ドルで、今年は受入枠上限の48人が参加しました。
米国のボート競技は、高校や大学からの経験者というのはほぼ半分程度で、残りの人はクラブで競技を始めます。何歳からでも始められる、いいシステムだと感じました。
プリンストン大は、五輪選手を多数輩出する名門で、男子は重量級と軽量級、女子は軽量級とオープン、計4つのボート部が存在します。クラブハウスは歴史を感じる壮大な建物になっており、150艇以上を所有し、また8人両サイドで漕げるローイングタンクは圧巻です。聞けば、米国東海岸の名門大学のほとんどがこの規模のローイングタンクを所有しているそうです。他の運動部を見ても感じますが、米国の大学のスポーツへの投資は桁違いです。奨学金の支給、コーチの雇用も含め、スポーツは大学の看板を背負っているのだと感じます。
各ボート部にはそれぞれ、ヘッドコーチとアシスタントコーチがいます。ヘッドコーチは数年間腰をすえますが、アシスタントコーチは1カ所にとどまらず、1~2年ごとに職場を転々としながらキャリアアップを図ります。たとえば、私がお世話になったコーチは、9月にワシントン大(全米インカレ重量級エイト5連覇中)とペンシルバニア大に転出し、イェール大から新しいコーチを迎え入れました。コーチのスキルアップする環境が、全体のレベルを押し上げる一つの要因なのだと気付かされます。
プリンストン大では、Vespoli、Hudson、Resoluteなど北米メーカーの艇を多数所有しています。しかし、トップクルーはドイツのEmpacherを使っています。ほぼすべてのスイープ艇にアルミ製のウイングリガーが設置されていました。
練習を重ねると試合に出たくなります。米国では、春は短距離レース(1000m or 2000m)、秋はロングレース(3マイル(5km))と、季節ごと試合が分かれています。 私は、秋のロングレースに照準を絞りました。どのレースに出場するべきか迷っているとき、クラブのメンバーに「今年度で帰国だろ?Charlesを知らずに(ボート人生を)終わっていいのか?」と誘われました。 Charlesとは毎年11月にCharles Riverで行われる世界最大級のロングレース“Head of Charles Regatta”のことで、「それもそうだな」と、思い切ってエントリーしました。
私は平均年齢50歳以上のエイトの部に参加することになりました。 このクルーには70歳以上が2人乗っており、早朝練習を6回ほど行ってから、前日に車で7時間かけ移動し、試合に挑みました。
試合会場のCharles Riverは、狭いところで3レーンほどの川幅で、蛇のように曲がりくねっています。 ボストンの街中を流れる、いわば大阪市内の中之島を流れる大川のような環境です。 Head of Charles RegattaはCoxの技術でタイムが45秒縮まると言われています。
私のレースカテゴリーには全部で54艇が参加しました。 5-10秒間隔で次々と発艇し、私たちボートを示す48番の番号が読み上げられスタート。 ところが、全然レートが上がりません。 クルーキャプテンが前日交通事故を起こしたため代漕を頼み、さらにシートチェンジをしたため、 クルーに全然まとまりがなかったのです。
艇速は練習よりかなり遅く、最初の1マイルで2、3艇に抜かれました。 これはまずいと一生懸命漕ぐのですが・・・中間点を越えたあたり。 狭い石造アーチ橋の橋桁を通過する際、3艇のオールが絡まり、艇が完全に止まってしまいました・・・。 しかし、橋の上から観戦している観客は大喜びです。
余計な体力を消費してしまい、ヘロヘロになりながらゴール。 漕ぎ終えたクルーに笑みはありませんでした。 ほろ苦い試合だったのですが、川から眺めたボストンの風光明媚な景色の記憶、 そして、Head of Charles Regattaで漕いだという誇りを得ることができました。
試合が終わり川岸を散策すると、若い方から年老いた方まで、 旧友との再会を楽しむ人々で溢れかえっていました。なぜ、Head of Charles Regattaが これほど愛されるのか?ボストン市民が観戦するお祭り、伝統の大会、などの理由もありますが、 私は全米各地でボートを楽しむ老若男女が一年に一度集まる社交の場であるからと感じました。 日本の大学ボート部のみなさんは、インカレが終わった後、打ち上げでいろいろな大学の漕手の方々と交流する機会があると思います。 Head of Charles Regattaは、この打ち上げがマスターズ世代にも広がった大会だと感じました。
プリンストンでのローイング経験は、数多くの宝物を私に与えてくれました。 美しい風景、人々との交流、そしてボートを漕ぐ喜び。 現役時代は全力疾走していて気づきませんでしたが、年齢を重ねても楽しめる土台を作ってもらったのだと。 ボート競技を通じて知り合った多くの仲間たちに深く感謝します。